入社一年目の日記

社会人一年目。140字じゃおさまらない思いつきを書きます。テーマは就活、広告、ジョジョなど。

僕がコピーライターを目指すことをやめ、事業会社のマーケターを選んだ理由

長くなったのでタイトルの答えを最初に言うと、「広告はクライアントが9割だから」です。

 

■まず、名古屋市にガッカリ

先日、名古屋市が公募した「名古屋の魅力向上・発信のキャッチコピー」の結果が発表されました。

名古屋市:名古屋の魅力向上・発信のキャッチコピーが決定しました!(観光・イベント情報)

正直、心の底からガッカリ。

最優秀賞の「名古屋なんて、だいすき」はまだいいと思うけど、

「Good morning! NAGOYA」

「いいね、名古屋」

「This is Nagoya Standard !」

「good time nagoya」

「Shall we nagoya?」とか、全然意味が分からないものが多すぎる(とくに英語系)。3,386作品もある中から、これを選ぶかね?※詳しくは、上のリンクから見てみてください

公募のお題(オリエン)には、こうあります。

「名古屋魅力向上・発信戦略を推進していくために、市民をはじめ多くの人が、名古屋を楽しみ、名古屋の魅力を市内外にPRするための合言葉となるキャッチコピー」

このオリエンも正直わかりにくいですが、かみ砕くと「市民をはじめ市内外の人が、名古屋の魅力を発信したくなるコピー」ということでしょうか。

そんなところで、「Shall we nagoya?」とか言われても、大半の人の脳内に「?」が浮かぶだけで、誰も「名古屋って実はめちゃいいんだからね!」とか話したくならないし、これを見せてどういう結果を狙っているのかもさっぱりわからない…。

これ以外にも、ここに挙げたようなコピーを見て、はたしてどれだけの名古屋市民やその他の人が、「名古屋の魅力を発信したくなる」のか、僕には正直わからなかったです。

このコンペ(?)の改善点は後で挙げるとして、ここで僕が言いたいのは「クライアントのコピーを選ぶ目(=選球眼)」についてです。※ここでは審査員がクライアントの役割

もう少し詳しく説明すると、コピーの選球眼とは、「コピーが課題解決に有効に働くか、客観的に判断できる能力」のことです。

本当に正確に「有効に働くか」を判断するには、たとえば実際にそれぞれのコピーを見た人が、その後名古屋の魅力について話すかトラッキングしたり、ネットでの反応を見ないとわからないですが、そんなA/Bテストはなかなかできません(その意味で、ネット広告ってすごいと思う)。

しかし、自身が長年コピーライターとしてヒットも凡打も経験し、有効に働くか判断できる目を養ってきた人は、A/Bテストをしなくても、ある程度、一般の人よりはるかに高い確度で「利くコピー」を判断することができます(必ずしも百発百中ではないですが)。

しかし、審査員の経歴を見てみると、愛知県内の教授、NPOの方、タレントさん…などなど、少なくとも10人中5人はコピーと無縁そうな生業の人たち(他にも、プランナーや宣伝会議の編集長はいるが、コピーライターの人はおらず、専門の人いなさそう)。

これでは、とても名古屋市民をはじめとしたターゲットに刺さるコピーか判断できるコミッティー」とは言えないと思います。僕は審査員が悪いのではなく、あくまでこのコンペを企画し審査員を選定・招聘した人の、「コピーは選球眼が重要」ということの理解不足に、原因があると思ってます。

(余談)改善の余地があるとすれば、審査員賞をなくしてすべて合議制にするとか、コピーライターを一人でも審査員にいれイニシアチブをとってもらう、コピーライターがまずスクリーニングをかけ、残った10個を市民に投票してもらう、などが考えられると思いますが…理由は長くなるので割愛します。

 

■企業間でも横行している「残念な意思決定者たち」

前置きが長くなってしまいましたが、これは日本の広告会社-クライアント間の縮図だと僕は思いました。

広告業界において、サントリーをクライアントとして担当できることは非常に光栄なこと」というのを聞いたことがあります。

たしかに、広告の歴史を見ても、「言葉のサントリー」という言葉があったように、広告賞をとった、数々の素晴らしい広告を生んでいます。

でも、実際にその広告を作っていた人は?というと、外部の広告代理店の人であり、宣伝部の人が「これはいい」「これはダメだ」とディレクションし、決済の意思決定権を持ってきました。

つまり、今でもほとんどの会社では同じように「外の人が作り」「中の人が良いか悪いか判断する」という構造を持っているにもかかわらず、広告が機能する会社・機能しない会社の2種類が存在します。

しかも、日本のように二大大手広告代理店が存在している(=日系大企業の多くがDかHに依頼している)にもかかわらず、広告の良しあしが出るのは、代理店(外の人)間のクリエイティブ力の差というよりも、クライアント(中の人)の選球眼の欠如に原因があるのではないでしょうか。

 

宣伝会議賞の「協賛企業賞」から見るガッカリ

同じことを言うために、もうひとつ例を話させてください。先日、宣伝会議賞というキャッチコピーのコンペがあり、合計46万本ものコピーが集まりました。

で、そこから数十人のコピーライターが分担して4600本に絞り(1次審査、通過率1%)、そこからまた確か10%程度の通過率で絞られ(2次審査)、3次審査を経て、グランプリが決まります。

ここで注目したいのが、協賛企業賞です。協賛企業賞は、お題を出した企業が、1次審査を通過したものの中から、良かったと思うコピーをひとつ選ぶというものです。ですので、実際のビジネスの現場なら、広告として実際に世に出る可能性があるのは、この協賛企業賞ということになります。

しかし、この協賛企業賞を受賞した作品で2次審査に通過したものがほとんどない。つまり、選球眼があるとされ審査員に選ばれた優秀なコピーライターが選んだコピー(=課題を実際に解決してくれそうなコピー)と、出題者である企業担当者が選んだコピーには乖離があったということです。

原因のひとつに、クライアントは自社の商品がよく言い当てられているコピーを選んでしまいがちで、それが必ずしも生活者にウケるコピーであるかはわからない…といったことがあると思われます。

(余談)僕は実際このコンペに応募して、1次審査に6本(700本ぐらい出した)通過、2次審査に2本通過したとこで終わりました。こうなると、「グランプリはまだしも、協賛企業賞ももらえなかった…でも、2本、協賛企業賞より倍率も高く、プロが選んでる2次には通った…いやでも落選は落選だし…ううん…モゴモゴ」とよくわからない気持ちになります笑。

(余談2)自分自身、2次に2本通った(1000分の1を2本通過した)のは結構嬉しかったですが、でも反面、やっぱり悔しかった。でも、悔しかったのは審査員への信頼があるからで、先の名古屋のコンペにそのような感情は絶対抱きません。

ちなみに、このことに関して、実に明快かつ説得力をもって、実際に審査員を務められた中村禎さんが書かれているので、ぜひ読んでみてください。

コピーを「選ぶチカラ」が必要なのは誰か? | AdverTimes(アドタイ)

 

■結論:広告はクライアントが9割

例がかなりくどかったですが、要は「この広告、本当にターゲットに利いてるのかなぁ…」と思ったり、「金にものを言わせた露出力任せな広告が多いな」と感じる理由は、僕は広告の依頼主、クライアントにあると思います。

僕は就活でいろんな方に話を聞いたり、半年間週2回、宣伝会議で何人ものコピーライターの方からコピーを学び、受講生の中で通算で一番「今週のよかったで賞」ももらえたし、それはなにより本気でやってたからでした。何が言いたいかというと、素人ながらも本気で考え、コピーと向き合ってきたということです。

そこで色々感じた結果、依頼主であり意思決定権を持つ事業会社のマーケターこそが、「効果が出ない広告」の諸悪の根源なのではと結論づけ、事業会社のマーケターという道を選びました。

もっと言うと、コピーに精通し、「広告を見る目」を持っているマーケターは強いぞと思ったのです。

自分の主観で好き嫌いを語るのは簡単ですが、できるだけ客観的な立場になって、この広告・コピーがターゲットに刺さるか考えられるのは、意識しないと(してても)なかなかできません。

まだ入社一ヶ月だし、いつ自分が決裁者になれるかはわからないし考えると途方に暮れるけど苦笑、自分なりに磨いてきた「広告を見る目」をもっと磨いて、この仮説が正しいことをいつか証明したいなぁと思うGWの中日です。

【ネタバレなし】ラ・ラ・ランドをこれから見る人にぜひ注目して見てほしい個人的ポイント8つ

このLA・LA・LAND(ラ・ラ・ランド)、僕は事前情報ほとんどなし(アカデミー賞で14部門でノミネートされてる+渡辺直美が躍り出すCMの印象のみ)で見に行ったんですけど、予告編を見て気持ちを高めてから見に行くと、なおのこと鑑賞後、感動に浸れると思います。

ネタバレはしたくないので、内容には触れず、淡々と「ここにもっと早く気付いて注目していれば…!」と思った点を並べます。

ただ、元々映画がかなり好きで、本当に本当に情報をゼロにして、自分でゼロから見たい!って人(たとえば、「監督がここにこだわった」「このシーン実は…」みたいな事実さえも知らない状態で見たい人)は、見ないほうがいいかと…!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初から最後までの主人公の服装
※監督も、「コスチュームでの表現にこだわった」とインタビューで明かしている

②「最初の十数分は広告だから」と油断して、映画に遅刻することは絶対にしないこと
※見れば納得

カメラワークと編集(映像と映像の切り替わり)がすごい
※僕もズブの素人だけど、「す、すげげげえええ」てなる(撮影してるところを想像するとさらに「ほげげえええ」ってなる)

④音楽・構成・脚本も同上

LA LA LANDの辞書的意味は、以下の通り
〈米俗〉〔麻薬や酒に酔ったときに味わう〕陶酔境、恍惚、我を忘れた境地
 ◆La-La Landとも表記される。
〈米俗〉ハリウッド、ロサンゼルス◆ロサンゼルス全体を指すこともあるが、特にハリウッドについて使われる場合が多い。(英辞郎より)
〈筆者追加〉現実離れした世界、おとぎの国

デミアン・チャゼル監督は、今回のLA LA LANDの予算を獲得するための信用を得るために、段階的にまず低予算で前回の『セッション』を撮影し、「俺は映画が撮れるやつだ」と証明し、本作を撮った。

⑦同監督は青春時代、ジャズドラムに夢中だった

⑧この映画を見ると100人中168人がサントラを欲しがるが、現在Amazonでは在庫切れという事実にがっくりする。

 

たぶんもっとあるんだろうけど、見て気づいたり、見た後いろいろな人の感想や評価見て気づいた・感じた点はこれぐらいかな。

これを踏まえて、自分でももう一回見にいくか…!

なぜ職場に嫌な上司は生まれるのか

先週、バイト先の上司に怒られた。詳述はしないが、小さいミスを複数おかしてしまい、「こんなんじゃ就職したら死ぬ気で苦労するよ。要猛省」と言われた。

完全に自分のせいなので、言い訳する気もないし、本当に「その通り」なだけあって、心が苦くなったものの、反省しておかげで次はミスをおかさず済んだし、ここで陰口をたたくつもりなわけでもない。

何かというと、久しぶりに他人に怒られたな、と思った(※親は除く。うちの親は一日3暴言が日課だ)。と同時に、自分が人に最近怒った覚えもないな、とも思った。

また、社会人になると「上司に少し理不尽なこと言われたぐらいで、へこたれてちゃあやっていけないよ」と聞くけど(あくまで導入の例は、本エントリを思いついたきっかけであって、理不尽なことの例ではない)、学生時代に「先輩に少し理不尽なこと言われたぐらいで、へこたれてちゃあやっていけないよ」と言われたことはない(僕が体育会系の部活に所属したことがないからかもしれない)。なぜか。大学で「理不尽な言動をするやつ」は、すぐに村八分にされて、勝手に社会的に「排除」されるからだ。

これだ。だからここ最近、怒られた覚えがなかったのだ。

大学生同士で形成される組織・コミュニティーには、ある種の「神の見えざる手」が働いていると思う。資本主義社会において、優良企業が生き残り、そうでない会社が淘汰されていくように、大学生のコミュニティーでも、「理不尽なイヤなやつ」が淘汰され、「理不尽でない人たち」が生き残る。ただし、ここでいう「大学生のコミュニティー」とは、組織への加入・脱退障壁が低く、上下関係が色濃くない、いわゆる「サークル」のような組織を想定している。

企業ではどうか。僕は正社員として働いたことがないから全くの妄想になるけど、まわりから聞いた話をもとに推測すると、上司がたとえ理不尽だったりウザかったりしても、それが自然に淘汰される環境は、終身雇用を前提とし、クビや中途入社が活発でない多くの企業では存在しないのでは? と思う。

たとえば、クビ切りがいつでも行なえるような会社なら、部下に理不尽なことをする→チームのパフォーマンスがヘボくなる(or部下が人事に告げ口)→こいつ使えない→はいクビ、と健全に排除されるかもしれない。
※ただ、理不尽なのにデキる上司とかだと、チーム内の評判は悪いのに結果は出す→人事の評価〇→その人が組織内で重宝されていくという負のサイクルに向かう気もするし、そういう話は結構聞く

では、部下が声を上げればよいか? というと、声を上げるということは、そのリスクを背負うほどのメリットがないといけない。このとき非常に重要になるのが、本人が転職できる人間なのか、ということだと僕は思う。

まず若い(とくに第二新卒を過ぎたあたり)と、会社に対して資産特殊的投資(その会社でだけ役立つ能力への投資)をしている一方、汎用的なスキルが身についていない、ということが起こる。すると、転職ができない。たとえ部下が声を上げようとしても、上司はこの部下に多少理不尽なことをしても、退職できないことをわかっているから、つけこむことができる。いわゆる、ホールドアップ問題(※)だ。

(※)たとえば、あなたが大好きな彼氏・彼女に「髪型を波平カットにしてほしい」と頼まれ、実行したとする。相手はとても喜ぶが、他人ウケは最悪だ(パートナーに対し、資産特殊的な投資)。すると、あなたは波平カットになってしまった以上、他の人と付き合うことが難しくなる。そこでつけこまれる。「俺・私と別れたくないなら、その残りの1本も切ってよ」ーーこれがホールドアップ問題である。

人事に告げ口するぐらいなら簡単じゃ? と思うかもしれないが、告げ口して退職に追い込める会社なら健全。もし注意程度に終わったら、「なんであんなこと言ったんだ」or無言で干され、さようなら。こうも資産特殊的投資は怖い。詳述はしないが、清水富美加が「水着仕事をやらないと事務所に干される」と主張していたのも、事実だとしたらこのホールドアップ問題が原因だと思われる。

大学生の例に戻る。先ほど「組織への加入・脱退障壁が低く、上下関係が色濃くない、いわゆる『サークル』のような組織を想定している」と言ったが、組織に自由に出入りできると、「こいつウザいな」と思ったらすぐおさらばできるし、おさらばすることでその相手にもダメージを与えられることもあるかもしれない。上下関係がある組織は総じて、加入・脱退障壁が高い気もするが、そうでなくても、上下関係は多少の理不尽を「上下」を理由に押しつぶしてしまうパワーも持っている(むろん、上下関係型組織にもいいところはある)。

こう考えると、ウザい上司が社会に出るとはびこるのは、自分が会社(あるいは上司といってもいいかもしれない)に資産特殊的投資をするあまり、相手に「こいつに多少理不尽なことしてもOKだな」と、意識的・無意識に思わせてしまうからではないか。

※本エントリの趣旨とは異なるが、50過ぎのうっさいおっちゃん上司が発生する原因は、単に男性更年期障害(男性ホルモンが減ってイライラし始める)が原因なんじゃないかと、60すぎた父親を見て思う…

ということで、もし理不尽な上司に会った時の対策としての結論は、新卒で入社しても、いつでも転職できる汎用的な実力を頑張ってすぐにつけること…なんて言いたかったけど、どうせそんな甘くもないだろうから、入社して数年に当たる上司は結局、中小・ベンチャーでもない限り運ゲーなのだろう。4月になったら確かめてみるか。